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大泉滉の嫁は道子?画像を探してみた!

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ボードビリアンとして活躍した大泉滉さんの嫁の名前は何というのでしょうか。「道子」さん説が有力のようですね。また大泉滉さんは画像で見るとハーフっぽく見えますが、実際どうなんでしょうか。そこで今回は、大泉滉さんの嫁の名前は「道子」で正解なのか、画像で大泉滉さん自身はハーフなのかについて調べてみました。

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大泉滉はハーフ?画像検証してみた!

(出典:https://ameblo.jp)

往年の喜劇俳優・大泉滉さんはハーフだったのでしょうか。確かに画像を見ても純日本人的な顔立ちではないように思えますね。そんなハーフ説のある大泉滉さんのプロフィールから見ていきましょう。

名前 大泉滉(おおいずみあきら)
出生地 東京府北豊島郡高田町雑司が谷(現:東京都豊島区雑司が谷)
生年月日 1925年1月1日
没年月日 1998年4月23日
没年齢 73歳
身長 165㎝
職業 俳優・声優

大泉滉さんの身長は165㎝ですが、とても痩せているせいでしょうか、もっと小柄なイメージもありました。なんといっても印象的なのが、先のカールしたヒゲですね。外ハネというのでしょうか。あの時代の日本人男性でこちらの画像のように目が大きく彫りの深い顔は、やはり珍しいでしょう。

そこで調べてみたところ、やはり大泉滉さんはハーフというかクオーターでした。つまり、大泉さんの祖父がロシア人なのですね。ですから、大泉滉さんの父親がハーフという事になります。大泉滉さんの父親の世代でハーフというのは、今と違って珍しく、おそらく奇異な目で見られることもあったのではないでしょうか(><)今はハーフ・クオーターと言えば羨望の対象なんですけどね。

(出典:https://www.japan-post.com)

大泉滉さんの子供時代は父親の都合で引っ越しが多く、1937年から「劇団東童:1928年~1959年」に入り、子役名「大泉ポー」で活躍します。その後1939年または1940年に「大泉滉」と改名し、新芸名で出演した1940年の日活映画「風の又三郎」での「一郎」役が出世作となります。画像でもその美少年ぶりが分かりますね。

当時の日本は戦時下体制にあり、1939年の「映画法」施行により映画関係者の登録制が導入され、多くの俳優が1940年3月28日までに改名します。他にも歌手「ディック・ミネ」さんが「三根耕一/みね・こういち」、野球選手「ヴィクトル・スタルヒン」さんが「須田博/すた・ひろし」、などに変更しました。

大泉滉さんが在学していた「旧制城西学園中学校」は私立校で、その時期には中退したようですね。1946年から「文学座」に入った大泉さんは二枚目俳優として活動を再開、遅くとも1949年からクレジット付の映画に多数出演し、1950年以降今度はコメディアン、喜劇俳優、悪役などでの活躍が主となりました。

TVの世界でも、長寿番組の刑事ドラマ「ザ・ガードマン」において異なる役で何回も出演するなど、貴重な性格俳優として成功しています。日本でも有名なイギリスの人形劇「Thunderbirds/サンダーバード」の1966年から放映の日本版では、科学者「Brains/ブレインズ」役の声優を担当しました。他に海外映画やアニメでも多くの吹替声優を務めています。

祖父は元々ロシア帝国の民間農家で生まれ、「隔世遺伝」というべきか孫の大泉滉さんも趣味として有機農法の研究を始め、東京都国立市の自宅敷地で実践しました。1983年には「ぼく野菜人~自分で種まき、育て、食べようよ!」を出版し大泉滉さんの死後も嫁が管理しているようです。

大泉滉さんは1998年4月23日に東京都立川相互病院で肺ガンにより逝去されました。

大泉滉の父・大泉黒石と祖父・ワホヴィッチ(通称)について

(出典:https://www.japan-post.com)

大泉滉さんの父・大泉黒石(おおいずみ・こくせき)さんは1893年10月21日に長崎県八幡町(現;長崎市)生まれのロシア系日本人です。日本名は大泉清(おおいずみ・きよし)、ロシア名はアレクサンドレ・ステパノウィッチ・キヨスキーで作家、ロシア文学者として活動しました(1957年10月26日逝去)。大泉黒石さんの父親(大泉滉さんの祖父)は、法学博士アレクサンドレ・ステパノウィッチ・ワホヴィッチ(生誕不詳~1901年)さん、母親(大泉滉さんの祖母)はロシア文学研究者・本川恵子(1877年頃~1893年10月28日前後)さんですが産後1週間で死去、母方の祖母に引き取られ「大泉」姓を名乗りました。

(出典:https://www.japan-post.com)

ワホヴィッチさんはロシアまたは中国において、息子の大泉黒石さんが9歳頃に死去。作家としては「中国関連」、「ロシア関連」、「通称:長崎物」、「紀行記」、「怪奇小説」、「通称:世話物(江戸物)」、「自叙伝」、さらに前述を組み合わせた出版があり「人間開業」、「人間廃業」、「老子」、「老子とその子」などが代表作とされています。画像を見ても、まごう事無きロシア人ですね!

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大泉滉が結婚した嫁(妻)は芸能人?

大泉滉さんが芸能界で活躍していた時代というのは、やっぱり映画全盛期です。当時の俳優は女優と結婚するというのをよく聞きますが、大泉滉さんの嫁は誰なのか調べてみると、嫁の名前は大泉道子さんといいます。そして嫁の道子さんの画像に見覚えがあると思ったら、大泉滉さんと一緒に「わてら陽気なオバタリアン」に出演していたのですね。

大泉滉さんが嫁の道子さんにいつも怒られていたのが印象的です。道子さんの「オバタリアンぶり」は板についていました!

大泉滉出演「わてら陽気なオバタリアン」概要・番組名について・スタッフは?

「わてら陽気なオバタリアン」は、1989年からフジテレビのゴールデンタイムスペシャル枠で放送された番組です。大泉滉さんと嫁の道子さんたちが演じるショートコント風のVTRが中心の番組でした。後に男女公平への配慮として「オジタリアンの逆襲」という中年男性風刺の番組も放送されました。

さらにフジテレビは姉妹番組で「いたずらスペシャル!!天下無敵のチビタリアン」と言う番組を放送していたことがあります。「わてら陽気なオバタリアン」という番組タイトルの発祥は、もともと堀田かつひこさんの4コマ漫画の題名「オバタリアン」に由来し、無神経なおばさんという意味の言葉として、1989年に流行語となりました。

大泉滉さんと嫁の道子さんの他に出演者としては落語家の桂枝曾丸さん、放送作家の安達元一さんらもいました。安達元一さんは現在、自己啓発系メールマガジンを刊行していますね。

「わてら陽気なオバタリアン」スタッフ
プロデューサー:狭間忠行
コーナー原案:堀田かつひこ
制作:フジテレビ、ジャパンPRODUCE
技術協力:共同テレビジョン、INFUS

大泉道子が夫と交わした最後の会話と腕時計・ノートについて

(出典:http://blog.livedoor.jp)

余命宣告後の大泉滉さんは自宅で過ごすことを選択し、嫁の道子さんも懸命に看病を続けました。画像よりも相当痩せてしまったそうです。最期の朝に、大泉滉さんは息を引き取る前に夢を見ていたようで、にこっと笑い「今旅に出ておいしいものを食べてた」と、道子さんが「じゃあ旅の続きみたら」というと、滉さんは目を閉じてすぐに開け「見られなかった」といいました。

さらに道子さんは「違う夢見たら」と声をかけ、滉さんが「そうする」と目を閉じたのが最後だったそうです。あまりにあっけなかったので道子さんは滉さんの夢についてどうしてもっといろいろ質問しなかったのか、大変悔やんだそうです。道子さんは毎朝滉さんの遺影に手を合わせ、亡くなる直前までつけていた腕時計が動いているかどうかを必ず確かめるようにしています。せめて時計だけでも生きていてほしいからだそうです

そして道子さんは滉さんが使っていた大学ノートの残りのページに、日常の出来事を天国の滉さんに話しかけるようにつづり、書き終ると必ずのりで封をするのです。誰にも見せることなく、道子さん自身も読み返す事はないそうです。

大泉滉の子どもは大泉洋という噂の真相は?

(出典:https://japaneseclass.jp・http://ticket-news.pia.jp)

大泉滉さんに関する噂で、息子が俳優の大泉洋さんではといわれているようです。画像で見ても確かに雰囲気が似ていますね。ですが、2人に血のつながりはなく、他人でした。同じ「大泉」姓で雰囲気も似ていれば、もしかしたらと思ってしまいますよね。

大泉滉の嫁は道子?画像についてまとめ

昭和の時代を生き抜いた喜劇俳優の最後は、温かくもあっけないものでした。今は天国と地上で大泉滉さんと道子の毎日のやり取りが続けられていて、永遠につながっていられる感覚にも思われますね。お互いの愛情の深さだからこそできる事なのですね。

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