皇后雅子様の若い頃の外交官時代の画像が綺麗と話題です。現在も綺麗な雅子様ですが、病状や症状は回復しているのでしょうか。令和の象徴ともいえる雅子様の現在の病状や症状について、そして若い頃の外交官時代の画像についても調べてみました。
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Contents
- 1 雅子様の若い頃は顔が綺麗で美人しかも華麗なる経歴学歴(出身大学)が秀才?画像で確認!
- 2 雅子様と皇太子殿下がご婚約・結婚に至った経緯や出会い馴れ初めは?現在も仲がいいのか調査!
- 3 雅子様の前職は外交官?実家の父親・小和田恆と母親や家族について調べてみた!
- 4 雅子様が病気(適応障害または別の病気の噂)になった診断原因は複数のストレス?
- 5 雅子様の病状症状は良くなってる?
- 6 雅子様は病気が完治していないのに皇后様(皇太子妃)の活動に心配の声が?ネットの反応に驚愕!
- 7 雅子様の年齢や身長・体重などプロフィールは?
- 8 雅子様のキャリアウーマン時代・コート・プライベート・成婚後写真集!
- 9 雅子様の若い頃の外交官画像が綺麗!病状や現在の症状についてまとめ
雅子様の若い頃は顔が綺麗で美人しかも華麗なる経歴学歴(出身大学)が秀才?画像で確認!
(出典:https://www.pinterest.com)
皇后雅子様の若い頃の経歴は、1981年にアメリカのハーバード大学経済学部へ入学されます。勉強の傍ら、自ら『日本文化クラブ』を創立されるという活発な学生生活を過ごされました。1985年6月にハーバード大学を卒業された際は、成績が優秀な学生へ贈呈される『マグナ・クム・ラウデ(優等賞)』を受賞されました。
翌年1986年に帰国後、4月に東京大学法学部へ入学されますが、同年10月には、外交官試験に合格(外務公務員採用Ⅰ種)、外務省への入省が決定されます。それに伴い東京大学を中退・外務省へ入省、1987年に『経済局国際機関第二課』に配属されました。その間、英オックスフォード大学ベリオール・カレッジへ1988年に研修留学に向かわれます。
現地では『国際関係論』を専攻、日本の国防産業・次期支援戦闘機選(FSX)問題等について語られました。研修留学中も、1988年7月より『第16回G7ヒューストンサミット』では通訳として、父・小和田恆氏と共に米国へ出張されました。1990年6月に帰国、翌7月に北米局北米二課に配属されます。
その間もない1991年3月にスウェーデン首相イングヴァール・カールソン氏(当時)を歓迎する夕食会で通訳として参加されます。その同月には、アメリカ国務長官ジェイムズ・ベイカー氏(当時)と竹下登・元内閣総理大臣らとの会談の通訳という大役を務められました。そして、画像でも分かるように若い頃から雅子様は綺麗だったんですね。
雅子様の学歴についての記事はこちら→小和田雅子さま学歴詐称?その正体や若い頃・家系図について調べてみた!
雅子様と皇太子殿下がご婚約・結婚に至った経緯や出会い馴れ初めは?現在も仲がいいのか調査!
皇太子さまは以前より、『自分の価値観や趣味や価値観が合う、人の苦しみを分かち合え、自分の意思をしっかりと伝えられる』様な方が、理想の女性だとおっしゃられていました。そして皇太子さまが26歳の時、1986年10月に東宮御所で催されたスペインのレナ王女の来日歓迎レセプションにて若い頃の雅子様(当時23歳)と出会われます。
『理想の女性像』としてピッタリだったらしく、実は雅子様本人には内緒でレセプションへ招いたうえで、皇太子さまとのお見合いが用意されたとの事です。その後も日英協会主催のパーティー等で皇太子さまが、雅子様とお会いされ会話を楽しむといった機会を持たれました。1988年以降、雅子様が外務省での多忙な生活を送り、研修留学をされていた事もあり、お二人の出会いの場は、疎遠になりますが、約5年振りである1992年8月に、お二人が再会されます。
同年10月、千葉県市川市にある新浜鴨場で皇太子さまが雅子様へプロポーズをされました。そしてついに12月、雅子様は『殿下のお力になれるのなら、謹んでお受けします。』と、皇太子さまの熱心なアプローチと呼びかけに答えられました。翌1993年1月に皇室会議が開かれ婚約が内定し、日本中が“祝賀ムード”に沸き上がりました。
同年2月に天皇皇后両陛下をはじめとする天皇家一同、雅子様と2人の妹さんを交えた夕食会が執り行われました。その席にて、皇后様が歴代皇后伝来の品・7カラットのルビーの指輪を手渡されると、雅子様は自身の左手の薬指に指輪を付けられました。1993年6月9日に皇居で『結婚の儀』が行われ、『成婚パレード』(皇居~東宮仮御所)がオープンカーで行われ、沿道に19万人の市民の方が集まったうえ、テレビ中継の最高視聴率が77.9%を記録しました。
そして6月17日には、『皇太子妃雅子』の名前が『皇統譜』に登録されました。雅子様は『(皇太子さまと)価値観が合い人の苦しみを分かる意思の強い』だけでなく、画像のように綺麗な女性でもあったんですね。現在も皇太子ご夫妻は、私生活でもよく会話されコミュニケーションを取られているそうです。
(出典:https://www.asahi.com)
最近も、今年2019年5月のアメリカのトランプ大統領とメラニア夫人との懇談にて、お二人とも殆ど通訳を使わず英語で会話をされる一面がありました。素晴らしい画像ですね。これも若い頃より現在までご夫妻の互いの“キャッチボール”ができて故の事なのかもしれません。
雅子様の眉毛についての記事はこちら→雅子様の眉毛が濃いのは入れ墨それともアートメイク?妹たち驚愕の現在!
雅子様の前職は外交官?実家の父親・小和田恆と母親や家族について調べてみた!
若い頃の雅子様は1986年10月に外交官試験に合格後、外務省『経済局国際機関第二課』(1年4か月)、続いて『北米局北米二課』(2年8か月)に配属されます。外務省には約4年、研修留学期間を含めますと6年近く配属された事になります。外交官としての外務省時代は、週に三日は深夜0時を回ってしまう程の過酷さを極めていたそうです。
雅子様の父・小和田恆氏も外務省に勤務され、在米・在ソ連大使館公使・経済協力開発機構(OECD)政府代表部等を歴任後、外務次官へ就任されました。1994年からは、国連大使、及び国連日本政府常駐代表に就かれます。2003年より、オランダ・ハーグの国際司法裁判所・判事を15年務め、昨年2018年6月に(任期途中の中で)自主退任され、日本へ帰国されます。
一方、(雅子様の)母親の小和田優美子さんは、エールフランス航空で東京支社長秘書を務められ、(小和田恆氏とご結婚後も)日本ユニセフ協会(ユニセフ日本委員会)の評議員としてご活躍されました。
また雅子様には、二人の(双子の)妹さんがおられます。1人は池田礼子さんで、『ベトナム国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)』勤務を経て、国連官僚として『国際連合本部』等でご活躍されました。2000年10月に結婚、現在は二人のお子さんに恵まれています。
もう一人が小和田節子さんで、本田技研工業(HONDA)・二輪本部北米部勤務後、東京大学教養学部教養学科に再入学(東京大学卒業経験あり)されます。更にハーバード大学大学院社会人類学専攻博士課程の博士号を取得されました。現在は、目黒区内にて一人暮らしをされているとの事です。
雅子様が病気(適応障害または別の病気の噂)になった診断原因は複数のストレス?
雅子様は2003年12月に体調不良で入院、療養生活に入られ、その翌年2004年7月に『適応障害』(ストレスにより引き起こされ、精神や行動において社会的機能に支障が著しく生じてしまう状態)の診断をされました。外務省勤務の生活から結婚を機に一変、環境の変化に対応できない故の発症と判断されました。
雅子様はその後、軽井沢で静養生活を送る等をされますが、病状・症状の回復は見られませんでした。それに対し、『適応障害』以外にも“不安神経症”や“自律神経失調症”といった数々の病名が挙げられました。更にある精神科医の方によると、『適応障害』ではなく『産後うつ』の病状・症状で、出産によりホルモンバランスが急激に変化し、育児に対する不安も重なって発症するものとも言われました。
そんな中でも、夫である皇太子さまが雅子様を支えられ、療養に入られた際も“絶対に回復させる”という熱意をお持ちでした。また、上皇后美智子さまの“あせらず、ゆっくりやっていきましょう”という励ましもあり、病状・症状は回復に向かわれました。
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雅子様の病状症状は良くなってる?
最近は、10年4ヶ月振りに海外訪問(オランダ)をされ『新国王即位式』に皇太子夫妻でご出席、2015年7月にはトンガを訪問、『国王戴冠式』にご出席、活動の幅を広げられました。昨年2018年8月に毎年恒例である、皇太子ご一家の那須御用邸の静養での敷地内での散策を、初めて取材許可が下りました。
約20分間にわたって、雅子様・愛子さまが一般の方々と会話をされ、その様子から雅子様の綺麗で穏やかな表情を感じ取れた模様です。病状・症状は良くなっていますね。
雅子様は病気が完治していないのに皇后様(皇太子妃)の活動に心配の声が?ネットの反応に驚愕!
雅子様の病状・症状は体調にも波があるので、皇后として急に全部の行事に出席できるほど、適応障害は簡単な病気ではないといわれます。ネット上でも、雅子様のキャリアが皇室では生かされなかった事や後継ぎばかり期待されていた事へのストレスに、主に女性層からの同情の声も多いです。
雅子さまと紀子さまの関係についての記事はこちら→雅子様と紀子さまの関係が都市伝説?比較は想定外の結果に!
雅子様の年齢や身長・体重などプロフィールは?
(出典:https://www.asahi.com)
雅子様は現在55歳で、身長164cm・体重51kgと公表されています。1963年12月9日、東京都港区虎ノ門の国家公務員共済組合連合会虎の門病院にてお生まれになりました。出生時より小和田恆氏の関係で、ご一家で外務省官舎(世田谷区桜上水)に居住されていましたが、(雅子様が1歳の頃から)小和田恆氏が在ソ連日本大使館一等書記官に就任され、ソビエト(現:ロシア)連邦・モスクワ市で過ごされます。
幼少期も現地の保育園に通われます。その後も、小和田恆氏の就任の関係により、アメリカ(ニューヨーク)⇒日本(新宿区大久保・田園調布)⇒アメリカ(ボストン)へとご家族で移住を繰り返されます。1985年6月に成績優秀でハーバード大学経済学部をご卒業されます。外交官試験合格(1986年10月)後、1987年4月に外務省へ入省、『経済局国際機関第二課』『北米局北米二課』(1990年7月)へ配属をされます。
1993年1月に皇室会議で皇太子徳仁親王の妃に内定を機に、外務省を退職されます。そして2001年12月、愛子さま(敬宮愛子内親王)を出産されます。2019年(令和元年)5月1日、皇太子さまの第126代天皇の即位に伴い、立后し新たな皇后となられました。
雅子様のキャリアウーマン時代・コート・プライベート・成婚後写真集!
雅子様の若い頃、綺麗な外交官キャリアウーマン時代などの画像を見てみましょう。
(出典:https://www.pinterest.jp)
(出典:https://bunshun.jp)
やはり、雅子様は綺麗で聡明な女性であることが画像からも伝わりますよね!
雅子様の若い頃の外交官画像が綺麗!病状や現在の症状についてまとめ
皇后としての職務もますます忙しくなるであろう雅子様には、病気については完治を目指していただきたいですが、これは時間をかけないと仕方ないのかもしれませんね。新天皇陛下も温かく見守って下さるでしょうから、焦らずに進んで行ってほしいですね(^^)
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